名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター

名古屋ビジネスセミナー開催報告

名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センター(ERC)は、地域に開かれた研究活動を推進するために、新しく社団法人「キタン会」(名古屋大学経済学部同窓会)と共同でオープン・セミナーを開催することにいたしました。名称は《名大ERC・キタン会 名古屋ビジネスセミナー》です。

第1回名古屋ビジネスセミナー開催報告

名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センター(以下、ERC)は名古屋大学経済学部同窓会の社団法人キタン会と共同で「名大ERC・キタン会名古屋ビジネスセミナー」を開催していくこととした。両者はこれまでも共同で国際シンポジウム等を開催してきたが、このセミナーは特に次のような趣旨で開催するものである。即ち、来年度に予定されている名古屋大学の国立大学法人への移行という時代の流れを背景として、研究成果その他の経済に関する情報の共有を通じて地域社会に貢献するため、名大関係者に限定しないオープンなセミナーを開催することとし、これを将来的には産官学を含む総合的な地域ネットワークに発展させていく。

 第1回セミナーは、10月3日(金)午後6時よりサイプレス・ガーデンホテルで開催された。キタン会の松枝副会長とERCセンター長の平川教授から、上記のような趣旨を説明し、協力を呼びかける挨拶があり、次いで、講師としてお招きした拓殖大学国際開発学部長の渡辺利夫教授に「中国新体制の課題は何か」というテーマで講演していただいた。講演の要旨は、質疑の内容を含め、以下のようなものであった。

 中国は、WTO加盟により、長期的には生産性が上昇し、経済大国化する可能性があるが、その成果を手にする前に大きな困難が待ちうけており、対処を誤ると頓挫してしまう可能性もある。最も重要な問題は、国有企業改革を進めることから生ずる都市部の失業増加と、農業の市場開放に伴う農村部の潜在失業の顕在化である。両者を合わせて約2億人の労働供給超過となり、これから2020年まで毎年7.2%の実質成長を続けること(政府の所得4倍増計画の想定)ができたとしても、この圧力を現状程度にとどめるだけだと推定される。この成長率は、中国政府の自信の表れというよりは、社会不安、政治不安を起こさないために必要な最下限の目標と理解すべきである。その実現は、外資や外国市場に依存する脆弱性、少子高齢化の社会的負担、環境汚染、水の供給制約等の問題が特に2010年以降に大きな制約となることが予想され、容易なことではない。共産党の求心力も低下している。日本人が中国を見る目はぶれやすく、現在は過大評価する傾向があるが、視点を定める必要がある。また、中国の躍進によりアジアの雁行的発展形態が乱れてきたという指摘もあるが、まだ全体的には東南アジアより遅れており、雁行形態は生きている。

 講演終了後、経済学研究科長の北原教授より閉会の挨拶があり、閉会後に開かれたセミナー発足を祝う懇親会では、講師の渡辺先生を中心に談笑の輪が広がった。以上のように、第1回セミナーは多数の参加を得て盛況のうちに終わった。なお、同時に実施されたアンケートでは、今後セミナーで採りあげたいテーマについて多くの意見が寄せられた。セミナーの今後の発展に期待したい。

第2回名古屋ビジネスセミナー開催報告

 2月6日(金)午後6時より、名古屋市中区栄の日本経済新聞社名古屋支社3階会議室において、「アジアとのFTAが無いと日本はどうなるか」と題して、財団法人 国際経済交流財団会長の畠山襄氏に講演していただいた。その概要は以下のとおりである(レジュメ参照)。

 FTA(自由貿易協定)は、モノとサービスの貿易障壁を、モノについてはほとんど完全に、サービスについてはモノほどではないができるだけ、無くす協定である。典型的なものとしてNAFTA(北米自由貿易協定)がある。関税同盟(CU)は、FTAの一種だが、域外に対する関税を統一するもので、その典型はメルコスールである。共同市場は、さらに域内の流通や労働者の移動を自由化したもので、かつてのECがこれに当たる。経済同盟は、金融政策等の統合までしたもので、現在のEUがこれに当たる。アジアではASEAN10がFTAを結んでおり、これは本格的なものとはいえないが、2020年までにASEAN経済共同体として関税同盟または共同市場に発展することを目指している。
 FTAはWTOの「無差別」の基本原則に反しているが、WTOでは、①全セクターかつ輸入金額の90%以上の品目を含み、②非加盟国に対する輸入障壁を引き上げないこと、を条件にFTAを認めている。FTAのメリット、デメリットをレジュメに記しておいたが、メリットとして、国内の構造改革を促すという点は特に重要である。たとえば、カナダのワイン産業は、米加FTAに対応しようという努力により競争力強化に成功した。デメリットの第5点の、FTAを政治的・社会的目標の達成に使うということは、米国がよくやっている。
 「東アジア」とは日中韓+ASEAN10および台湾、香港の15経済を指す。NAFTAやEUが拡大していく中で、主要経済圏では東アジアだけが自身を包含する唯一のFTAをもっていないが、最近になって「東アジア自由貿易協定」(EAFTA)を長期的、段階的に推進しようという合意ができてきた。現在、この地域で活発に動いているのは、オーストラリア、中国、米国である。今年の6月頃には、中国とASEANの間で、モノの貿易に関する協定が発効する見込みである。そうなると、日本からASEANに輸出していたモノが、中国の生産拠点から輸出されるようになり、その分の投資が国内から中国にシフトする可能性が出てくる。韓国は2002年10月、チリとの間で初のFTAを調印したが、まだ国会で承認されていない。
 日本は、WTO一本槍の方針を2~3年前に改め、FTAの推進にも力を入れるようになった。既に「日本-シンガポール経済連携協定」が発効し、今年から来年にかけて、ASEANとの間で包括的経済連携構想の協議、交渉入りが予定されている。完全実施のスケジュールは、2012年までにASEAN6との間で、2017年までには後発国を含めて、というものであり、中国・ASEANのFTAと比べて2年遅い。このほか、昨年12月から今月にかけて韓国、フィリピン、タイ、マレーシアとの間で個別に交渉が始まった。メキシコについては、昨年9月のフォックス大統領訪日の際には合意に至らず、その後も交渉を継続している。
 今後の日本の採るべき方針、課題としては、第1に、農産物の輸入増加を認め、構造改革を進めることである。第2に、労働移動を自由化し、外国人労働者を受け入れることである。第3に、交渉体制を整えることである。現在の4省体制は、だれが責任者なのかわからず、問題がある。外国と同様に、日本も貿易・経済担当の大臣を責任者とすべきである。最後に、政治家のリーダーシップが非常に重要である。中国の朱前首相は、FTAの推進が国内の改革に資することを意識し、FTAにも強くコミットしていたようだ。日本の政治家にも期待する。

 以上の講演に続いて質疑を行った。応答の概要は以下のとおりである。

途上国が先進国とのFTAによって不利になるのではないかという懸念を持っていることは否定できない。中国は、日本とのFTAを心から望んでいるとは思えない。
これまでに成功したFTAの多くは、カナダやメキシコのような相対的に市場の小さい国が米国のような市場の大きい国に対して、先見性をもって提案したものである。
JEF(国際経済交流財団)が先般タマサート大学とバンコクで共催したFTAシンポジウムでは、東アジアFTAを実現するためのロードマップを作るべきだという合意ができた。APECのポゴール宣言との関係を考慮して、2018年をメドに実施しようという提案がなされている。
東アジアFTAの中で台湾経済を無視することはできないが、中国の思惑もあり、どう位置づけるかが重要な問題である。私の案だが、日本が1955年にGATTに加盟した後もしばらく差別的に援用されたGATT35条(GATT協定の不適用)と同じような規定を東アジアFTAの中に設けて、中国と台湾がお互いに援用したらよいのではないか。
農業に関して、国際競争力の観点からは、農地制度の改革や株式会社の参入を認める等の対応が望ましい。農業の多面的機能については、それぞれの機能のメリットに応じて対策を講ずるようにすべきである。
農産物は、食糧安全保障の観点から2、3品目は断固守ることにして、それ以外は断固自由化すべきである。GATTは農産物の輸出国が自国の食糧不足の際に輸出を制限することを認めているが、この規定を削除し、さらに、農産物の輸出国と輸入国の消費者を差別してはならないという内国民待遇の規定を作るべきである。また、途上国とも提携して、供給先を多角化すべきである。
農産物の自給率を高めるべきだという意見には賛成だが、輸入制限でなく、競争力強化により達成すべきである。 FTAでは、原産地規則により、最終輸出国において関税分類の変わらない、あるいは付加価値の十分付加されない、単なる迂回輸出は認められていない。

第3回名古屋ビジネスセミナー開催報告

名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センターと(社)キタン会は、5月21日午後6時より、名古屋市中区栄の日本経済新聞社名古屋支社3階会議室において、第3回名古屋ビジネスセミナーを開催した。セミナーの冒頭で、岡田邦彦キタン会会長(松坂屋社長)から、キタン会の紹介を兼ねた挨拶があり、引き続き、「1990年代以降の金融・経済問題をどう読み解くか」と題して、東海財務局長の内藤純一氏に講演していただいた。その概要は以下のとおり(以下、ページはレジュメの関連部分)。

配布レジュメ・ダウンロード(PDF)
(注;本ホームページに掲載のレジュメは、講師によって当日配布されたPPT版のレジュメを、終了後、センターにおいてPDF版に加工したもの)

 1994年12月に東京の2つの信用組合が破綻した後、95年から金融機関の破綻が目立つようになった。同年2月にはイギリスのベアリングズ社が破綻するという事件が起きた。その頃、私は大蔵省の証券局で公社債市場室長を務めており、債券発行市場の活性化方策について検討していたが、この事件によってリスク管理(特に決済リスク)の問題が非常に重要であるということに気づかされた。また、預かり資産の回収に関して、法制が不備で対応できないという問題も起きた。これらの問題は、当時の日本の証券取引、金融取引におけるリスク管理が未熟であったことを示している。

 その後、日本国内でも金融機関の問題が噴出してきた。96年には「住専国会」の混乱、ペイオフ凍結関連法案の提出、97年には拓銀、山一の破綻、98年には長銀、日債銀の破綻・国有化と、次々に問題が起こってきた。その頃、私は銀行局でこれらの問題と取り組んでいた。海外でも、97年にはアジアの一連の通貨危機、98年にはロシアの国債デフォルト、米国のヘッジファンドLTCMの実質破綻等の事件が次々に起こった。98年8月から開かれた国会は「金融国会」と呼ばれたが、7月の参議院選挙で橋本内閣の自民党が少数与党に転落したため、全ての法案について野党との妥協が必要となった。

 90年代半ば以降の金融問題は、今では峠を越えつつあるという感じもするが、まだ根本的な解決には至っていない。この問題は長い目で見る必要がある。まず3つのポイントを挙げたい(p2)。第1点は、不良債権の本質は土地と株価の値下がり、いわゆる資産デフレだということである。図(p7~9)で示したように、資産価格が大幅に、10年を超えて低下し続けるというのは、30年代の金融恐慌以降はなく、数十年に一度のまれな現象である。その結果、企業のバランスシートが痛み、信用力が落ち、不良債権が増加してきた。第2に、資産デフレの状況下で、金融メカニズムそのものの機能が低下した。第3に、日本の金融システムの歴史的問題の顕在化、これは間接金融中心で信用を拡大させてきた歴史に起因するものである。

 日本経済の貯蓄投資差額の推移(p10)を見ると、長い間、家計部門が貯蓄して非金融法人企業部門が投資をするというパターンで成長してきたことがわかる。75年以降は安定成長に移行していたが、80年代半ばに貿易黒字が劇的に拡大し、日米の貿易不均衡が政治問題化したため、財政、金融ともに内需を拡大する政策が採られた。金融機関の信用創造拡大が主として非製造業の投資を膨らませ、これがバブルの一因となった。結局、無理な内需拡大策は長続きせず、一気に崩れてしまった。

 平成不況がなぜこれほど長く続いたのかという点については(p3)、バランスシート不況という問題として整理しておく必要がある。90年代には景気刺激策も採られたが、期待されたような効果はなかった。それは、平成不況が循環型の不況ではなく、構造的な問題があったからである。特に非製造業は、80年代後半から負債を急速に積み上げていったが、資産は増加から一転して減少した(p13)。金融機関の企業向け融資の7~8割が非製造業向けであるから、金融問題とは裏を返せば非製造業の問題であるとも言える。

 日米企業の資本レバレッジ(債務/資本)比率を比べると、日本の比率がかなり高い(p14)。日本では、1930年代後半以降、金融制度の整備に伴い、長期の資金が銀行から企業に融資されるようになった。この比率は、70年代の半ばには5まで上昇したが、その後、安定成長の時代に入り、株主資本の充実が図られるようになると、低下していった。90年代前半は、経営不振に陥った企業が再建計画を作って借入を続けていたが、97、8年頃から銀行借入残高が急速に減少する。以上の傾向は特に非製造業で顕著である(p15)。このようなバランスシート上の大幅な不均衡は、市場メカニズムによって時間をかけながら調整する以外に方法はない。急激な調整で解決しようとすると経済に大きな衝撃を与えるし、財政や金融の力で資産価格をバブル期以前の水準に持ち上げるのは無理である。

 米国では、1930年代に銀行の相次ぐ破綻を契機に銀行法が改正されて、業務分野、金利、州際業務の規制が強化された。この制度改正はデフレの時代には成功したが、70年代のインフレの時代には、預金から証券へのシフトという問題が生じるようになった。そこで、レーガン政権の時代に金利の自由化が進められ、同時に業務の自由化も進められた。ところが、中小の金融機関はこの新しい環境に対応できず、破綻していった。

 この時期、米国は日本やアジア、欧州に金融自由化を求めてきた。一種の経済摩擦であったが、日本における金融自由化はここから始まった。ただし、日本は貿易黒字が積み上がり、物価も安定していたので、国債発行金利や金融行政上の問題は別として、急いで金融を自由化する理由はあまりなかった。日本で金融機関に対する規制のシステムが本当に壊れ、金融レジームの転換が始まったのは、金融機関の破綻が顕在化した90年代後半だと思う。

 金融機関の破綻の類型の一つはソルベンシーの問題であり、当局や監査法人が債務超過と認定したときに破綻となる。もう一つの類型はリクイディティーの問題であり、銀行の信認が低下すると預金流出が起こり、資金繰りがつかなくなって破綻する。これは債務超過でなくても起こりうる。決済リスクの顕在化による連鎖破綻は、実際にはあまり重要ではなかった。問題なのは、多額の不良債権を抱えた銀行がソルベンシー上の疑念を生じさせ、預金が流出して破綻する場合である。その際に、信用が急激に収縮する、つまり担保があっても貸さないという行動が起こる。これが97年の11月から12月にかけて現実に起こったことである。このときは、公的資金を導入する方向へシフトすることで、ひとまず落ち着いた。

 以上のような経験をふまえて、どのような教訓をくみ取るべきか(p4)。まず、教科書に載っているような財政金融政策は、景気の微調整には効果があるが、数十年に1回起きるような危機に対しては無力である。特に、バランスシート調整が問題になっているような局面では、金融システムを安定化させるような枠組を考えることが重要である。金融制度は、30年代の大恐慌を経験して規制の多い制度に変わっていったが、その後、自由化という形で規制が骨抜きにされ、危機が到来したときには脆弱な構造になってしまっていた。資産インフレによる信用創造の拡大バイアスが90年代以降は逆回転し、信用創造機能が劇的に低下した。これに関しては、貸出市場における情報の非対称性に根ざした不安定性の問題(ある閾値を超えると貸出態度が反転する)、金融自由化に伴うリスクの増大(長期的にリスクをシェアするシステムの縮小)、プルーデンス規制が持つpro-cyclicality(不況であるために不良債権が増加する時に自己資本比率を維持しようとして貸し渋りを発生させ、不況をより深刻化させる)、預金保険制度によるモラルハザードや逆選択(高い預金金利を付けたハイリスク・ハイリターン経営)といった問題がある。

 現状では、いわゆる金融や産業の再生が先決であり、まだその途上にあるが、その先の金融の問題、21世紀の金融レジームについて考えることも重要である。まず、信用創造機能を安定化させるという課題がある。銀行の貸出乗数(民間向け貸出/銀行の本源的預金)を見ると、バブルのピークでは20以上あったが、その後は大幅に低下している(p19)。これをどう安定化させるかが問題である。また、世界最大の債権国である日本の銀行が低迷しているのは奇妙であり、むしろ将来、金融業は基幹産業となるのが自然である。現在、法人税収のうち金融業が占める割合は、イギリスは4割、米国は30数%、日本はわずか5%である。
 規制緩和の流れを元に戻すことはできない。健全性の強化等に関しては逆に規制が必要となるが、プルーデンス規制のような重い負担があると競争力をもつことができない。そこで、ナローバンク(預金を短期国債等の安全資産にだけ限定して運用する銀行)制度が一つの手がかりとなるだろう。これによって預金の安全性、信用創造の安定性を確保すれば、銀行のなすべきことは金融商品をいかに販売するかということになり、規制も銀行の健全性よりも取引の公正性を担保するものへと変わっていくだろう。

 最後に、今後の地域金融の課題を考える(p5)。多くの県で全国銀行の預貸率が1を割っており(p20)、これは借り手がいないというだけでなく、預金が集まりすぎていると解釈することもできる。今後の(非金融)企業の経営のあり方を考えると、景気が良くなっても貸出先が戻ってくるかどうか疑問である。むしろ預金をどうやって減らすかを考えた方がよい。90年代に金利が低下しても預金が減らなかったのは、安全性を意識していたからだろうが、来年4月からはペイオフが解禁されるので、少し変わってくるかもしれない。

 預貸率はメガバンクよりも中小金融機関の方が低い。預貸率が低いということは、何らかの投資をしているということであり、それは市場リスクに直面しているということを意味している。市場リスクの管理は極めて難しいのだが、中小金融機関が市場リスクに直面する傾向が強まっているのが現状である。しかし、市場リスクを減らすため貸出を増やそうとすると、競争の結果、金利の低下等で自らの首を絞めてしまうことになる。伝統的な預貸ビジネスは限界にきているのではないか。証券仲介業、保険商品の全面解禁については、まだ議論が残されているが、金融部門のリスク軽減や利用者の利便を考えると、規制緩和の方向に向かっていく必要がある。

 東海地域の問題としては、企業の負債資本比率は低いが、売上高営業利益率も低いという傾向がある(p21)。また、これと整合的に、銀行の利ざやは全国と比べてかなり低い(p22)。日本の金融機関の典型的な問題がここに現れている。

 引き続き質疑を行い、以下のような回答があった。

金利が低いために日本から海外に資本が逃避するということはないと思う。資本逃避が見られるのは赤字の国で、海外から受け入れた投資が、通貨が暴落する見通しになって逃避するというような場合である。日本では、金利が下がっても、貿易黒字が大きいので円安にならない。

経済のファンダメンタルズが悪いまま金利が上がると、企業倒産が増え、金融機関も倒産し、またデフレに戻ってしまう。金利の上昇は、名目GDPと歩調を合わせて緩やかに実現するのが理想的な姿である。

ミクロとマクロの関連性を意識して政策を立てるべきである。たとえば、不況時にミクロの健全性を強化しようとするとますます不況になっていくので、柔軟に考える必要がある。金融部門の状況を考えずに金利を上げていくのもよくない。

愛知万博(2005年3~9月)後の経済を考えてみると、短期金利は日銀がコントロールすると思うが、経済の回復期に長期金利が上がりすぎないようにするためには、財政赤字を減らしていくのが基本だと思う。また、理財局の国債管理政策と日銀の金融政策が連携をとる必要がある。これについては、第2次大戦中から直後の米国の例が参考になる。

銀行は、資産インフレの時代に土地の担保に依存してきたため、審査能力が落ちたと言われることがある。数年前の貸し渋りの時期はそうだったかもしれないが、その後は不良債権問題に対処しながら、土地担保主義の失敗から脱却するため努力してきたと思う。たとえば、個人ローンでリスクを分散しながら利ざやを上げていくというような取り組みもある。ただし、現在は、利ざやが小さくても貸出を増やそうとせざるをえない(リスクをカバーできていない)状況にあることが危惧される。

インフレ目標政策については、80年代までは日銀が貸出を増やすとマネーサプライが増え、銀行の貸出も増えるという関係があったが、93年以降そのような関係は崩れていることに注意する必要がある(p18)。これは銀行の行動が不良債権問題や資本の脆弱性によって変わってきていることが原因であるため、それを前提とした政策が必要なのであって、インフレ目標を掲げることの意味はないと思う。日銀の量的緩和については、十分な流動性を金融機関に供給してきた(少なくとも流動性危機を起こさなかった)という意味で効果があったと評価できる。

第4回名古屋ビジネスセミナー開催報告

 名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センター(ERC)と社団法人キタン会(名大経済学部同窓会)は、11月16日、名古屋大学シンポジオンホールにおいて、第4回名大ERC・キタン会名古屋ビジネスセミナーを開催した。今回は、中京大学大学院教授 水谷研治先生を講師としてお招きし、「日本経済と東海地域の展望」のタイトルで講演していただいた。

 本セミナーは、これまでも地域社会を担う公共団体、経済団体、報道機関等にご協力をいただいてきたが、今回からはいくつかの団体に正式の後援をお願いしており、セミナーの冒頭で後援団体と協力団体を紹介した(注)。また、平川ERCセンター長から、地下鉄名城線の全線開通により名大への交通の便が良くなったことや、4月から名大が国立大学法人となったことをふまえ、これまで以上にセミナーを発展させていきたいので、ご協力をお願いしたい旨の挨拶があった。引き続き、水谷先生から講演をいただき、最後に活発な質疑を行った。講演の概要は次のとおり。

 景気は2年半の上昇過程を経て7月にピークを越えたと見ている。上昇期間は過去の平均と同じくらいだが、東海地域以外では景気の良さを実感することは難しい。それは回復が始まったときの水準が極めて低かったからである。今後については景気が落ち込むという見方もあるが、私はあまり悲観していない。その理由は、今回の景気回復は政府の政策によるものでなく、民間主導の回復だからである。政府に頼れないことが明確になり、民間のコスト削減が進んで収益が好転した。しかし、企業は収益が改善しても従業員は増やさず、機械設備を増やそうとしている。このため、売り上げが減る中で、設備投資が伸びる構図になっている。

 日本の景気を長い目で見ると、90年代以前は右肩上がり、以降は右肩下がりになっている。現在の水準は異常に低いと多くの人が感じているが、私は逆に、今の水準は異常に高いと考えている。それは、アメリカの貿易赤字(対外純借金3兆ドル)と日本の財政赤字(建設国債と赤字国債500兆円)という2つの持続不可能な要因に押し上げられた結果だからである。このままでは、アメリカに貸したお金は返ってこず、財政は借金地獄に陥って永遠に脱却できなくなるという破局に至る可能性が高い。右肩下がりの経済では待っていても状況は改善しない。空洞化が進行して日本経済に赤字体質が浸透する前に、たとえデフレが激化しても国の借金を減らすようにしなければならない。

 こうした中で東海地域の経済だけは好調である。その理由としては、バブルが少なかったこと、地道に努力して良い物を作っていること、成果を蓄積し、投資していること、そして、政府に頼らないことが挙げられる。最近、国内生産への回帰という現象が見られるが、これは技術開発と物作りは一体であることを示している。それは特にこの地域にとってふさわしいことであり、将来の日本経済にとっても非常に重要な意味を持っている。

 現在の日本は豊かだが、国の借金問題を先送りすると孫以降の世代に大きな負担をかけることになるので、今のうちに片づけておかなければならない。国民自身が考え方を変えて、生活費を半分くらいに切りつめる必要がある。企業の多くが倒産し、生き残るための対応が必要になるが、そこまできているのが日本経済の実情であるということを申し上げたい。

 以上の講演に続いて質疑を行った。応答の概要は以下のとおりである。

持続不可能と思われるアメリカの貿易赤字が実際に続いている。これは、たとえば地震のように、エネルギーがたまっていき、たまりきったところで破局が起こるという種類の現象だろう。非常識なことではあるが、アメリカは、自国通貨で借りているので、最後にはドルの急落によってかなり問題を解決できる。そのとき、ドルをたくさん持っている人ほど損をする。

日本経済が借金体質になったのは、昭和40年に初めて国債を発行したことが契機になっている。その後、石油ショックやバブルの反動などで景気の低迷が続き、国債の大量発行が続いた。橋本内閣では回復期に財政再建の手を打ったが、景気が悪化したため、小渕内閣で再び財政で景気を刺激した。このようにして、過去39年間、借金の残高は減ったことがない。国民が歴代の内閣に景気対策を実施するよう求め続けたことが大きな要因である。

建設国債は60年で返すことになっているが、40年で返すくらいが適当と思われる。赤字国債も、当初は10年だったのが、その後60年で返すことになった。60年では切迫感がなく、これでは借金が増えるのは当然だ。どんなに長くても、5年で返すようにしなければならないと思う。

東海地域が好調な理由の一つとして愛知万博の準備や新空港の建設があることは間違いない。第二東名や東海環状道路などの公共事業も盛んに行われている。来年以降はこの恩恵がなくなるが、道路網、鉄道網、空港が整備されたことにより生産拠点としての利便性が高まった。これは長期的に見てこの地域に大きなプラスをもたらすだろう。

原油価格は毎日の変動を見ても意味がない。長期的に見れば、代替エネルギーの開発や新油田の開発が進むので、資源有限論は当たらないと思うが、原油価格は上昇していくだろう。価格が上がればもっと節約が進むようになるので、それは必ずしも悪いことではない。

UFJの合併問題に関して言えば、都銀の合併は効果が出るまで時間がかかるので、各行がそれぞれ合理化を進めるべきであると思う。金融庁は不良債権が貸し渋りを招き、景気の足を引っ張っているので、合併によってその処理を急がせようと考えているが、そのような政策は間違っている。不良債権を償却するには収益を上げる必要があり、そのためにはむしろ貸出を増やさなければいけないのである。貸出が伸びないのは不良債権のせいではなく、借り手がいないからだ。不良債権の処理を急ぐ必要はない。

 (注)後援団体は次のとおり(以下、五十音順)。愛知県、中日新聞社、中部経済産業局、中部経済連合会、中部日本放送、テレビ愛知、東海財務局、名古屋市、名古屋商工会議所、日本経済新聞社名古屋支社。
 このほかに参加者の募集に際して協力していただいた団体は次のとおり。愛知県産業情報センター、愛知県中央県民プラザ、紀伊国屋書店、名古屋銀行協会、名古屋市市民情報センター、名古屋市中小企業情報センター、名古屋青年会議所。

第5回名古屋ビジネスセミナー開催報告

 名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センター(ERC)とキタン会(経済学部同窓会)は、3月14日、愛知県産業貿易館において、第5回名大ERC・キタン会 名古屋ビジネスセミナーを開催した(後援:日本経済新聞社名古屋支社)。今回は、株式会社デンソー取締役会長 岡部弘(おかべひろむ)氏を講師としてお招きし、「企業の変革・競争力の強化」のタイトルで講演していただいた。講演の概要は以下のとおり(レジュメ参照)。

 最近、金儲け主義が蔓延しており、保険金の不払い問題、耐震強度の偽装問題、ライブドア事件など企業による不祥事が頻発している。その根本的な原因は、グローバルスタンダードの名の下で「株主重視の経営」を無批判に受け入れてしまい、企業は本来、節度のある経営を行い、永続し、社会に貢献すべきものと考える日本的経営の根幹(当たり前スタンダード)が揺らいでしまったことである。
 90年代以降のグローバル化においては、アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードとして広められ、市場主義経済は強い者勝ちの世界となって、世界中で貧富の差が拡大している。コーポレートガバナンスは、日本ではコンプライアンスと結びつけて考えられることが多いが、実はそういう性格のものではなく、投資家にとって好ましい株主重視の経営ルールで世界中を統一しようというものである。日本でも企業経営上問題が多い時価会計、減損会計について具体的な法制化が行われており、しかもその実態は穴だらけである。だからライブドア事件が起こってしまったとも言える。
 「ものづくり」と言うと、特に欧米からは遅れているとか頭が硬いとか言われるが、日本のように資源が乏しく、人口の多い国はものづくりでしか生きていけない。インド、中国など人口大国は皆ものづくりに力を入れようとしており、米国でさえそこに回帰しようとしている。それは、情報サービス産業では高い教育を受けた人以外は食べていけないのに対し、ものづくりは多くの雇用を創出するからである(米国のみ、基軸通貨国であり、軍事大国でもあるので、例外である)。また、日本にはものづくりの基盤があるので、これを活かさない手はない。現場の技能系の職員は世界一であり、裾野産業が発達しており、インフラも整備されているなど、有利な点が多い。また、労働組合と連携ができるのはほとんど日本だけである。
 ただし、最近、大企業の工場災害が頻発していることから窺えるように、日本でのものづくりの基盤は揺らぎつつある。その原因を考えると、一つには90年代のリストラの結果、教育訓練と研究開発の力が落ちてきたことが挙げられる。最近の企業業績の回復に伴って見直されてはきたが、一度弱くなるとすぐには元に戻らない。そして、「2007年問題」と言われるように、ベテランの退職による穴を埋める人材が育っていない。さらに、企業には増大する非正規労働者を教育する余裕がないし、指導者も少なくなってきている。
 日本は中国や韓国にいずれ追い抜かれるのではないかと心配する向きもある。実際、韓国では部分的に非常に強い産業・企業も出てきている。しかし、客観的に全体としての技術力を評価してみると、専門家によれば中国は日本より40年遅れており、韓国は20年遅れていると言う。その理由は、裾野産業が弱いことと労使関係が厳しいことだ。一方、GM、フォードが大変な苦境に陥っている大きな原因は、ものづくりをおろそかにしてアウトソーシングに依存しすぎたことである。日本は、いま一度原点に立ち返ってものづくりに力を入れていけば、必ず競争に勝てると思う。
 グローバルな競争が激しさを増す中で、企業の経営も変えていく必要がある。しかし、企業変革といっても、変えてはいけない部分(テクニカルコア)と変えていくべき部分(テクニカルバッファ)を分けて考える必要がある。また、一度に全部を変えることは不可能であり、利害関係者の理解を得ながら少しずつ前進する努力を継続することが重要である。
 テクニカルコアの中で最も大切なのは「企業のミッション」である。それを基に10年先、20年先にどのような会社になっているのが望ましいかということを明確にし、その上で時に応じて変えるべきところを変えていく必要がある。2番目の「強いオーナーシップ」というのはリスクをとることである。経営の責任が問われる時代だが、競争に勝つための技術開発は長期的な観点から進めなければ間に合わないので、相当なリスクを覚悟しなければならない。3番目の「健全なる危機意識」とは、常に危機意識を持って進化・改善する能力を組織として身につけておくということであり、その代表がトヨタである。最後は「人を大切にする企業風土」である。チームワークが必要な組織では、優秀な人材を外部から採用するというやり方はうまくいかず、人材は自分で育てるしかない。企業が人を大切にするという理念を持ち、それを企業風土として定着させることが重要である。そういう意味でも、リストラは安易にやってはならないし、極端な成果主義も相容れないものである。
 他社ではできないような魅力ある商品を作るためには、開発し、特許で固め、商品に仕上げる必要があり、デンソーでは人材の育成に特に力を注いできた。開発(技術者)に関しては、研究開発費対売上高の高い比率を維持してきた。技能者については、技術者との連携を高いレベルで行う必要があり、また、高性能の機械を導入しても結果は使う人の能力に依存するということがあるので、短期大学の設置などの環境を整え、国際技能オリンピックにも派遣するなど、中卒から手間ひまをかけて養成してきた。
 人口減少社会のインパクトは大きく、若い人がものづくり企業に来てくれなくなるのではないかと危惧している。政府は高齢者や女性の就労促進策などの施策を出しているが、それだけで問題解決とはならない。ものづくり企業の魅力をアピールするとともに、人を育ててきた会社かどうかを見て判断してほしいと願っている。移民については、高度な能力をもつ人は別として、大量に受け入れるべきではないと思う。二世以降は同化が進まず、社会的に膨大なコストがかかるようになるからである。人手不足には、中国、韓国、ASEAN、インドなどの周辺諸国と連携して、日本では日本でしか作れない付加価値の高いものを作っていくということで対応するしかない。

 以上の講演に続いて質疑を行った。応答の概要は以下のとおりである。

地道な改善を積み重ねるというものづくりの精神を若者に共感してもらうためには、企業のミッション、経営哲学が大事だ。短期的に業績を上げるよりも研究開発や教育訓練に力を入れ、そうした企業風土や経営者の考え方を理解してもらう必要がある。
社員と家族の住む自治体や学校との教育に関する連携・協力は重要である。既に刈谷市などで実施しており、他の自治体にも、ご要望があれば協力できるのではないかと思う。
技術者の教育については、技術教育センターを設置し、入社後に集中的にエレクトロニクスを中心とする基礎教育を行っているほか、先端技術に関する教育、技術討論会の開催、博士号取得・学会発表の奨励、特許取得への手厚い報奨などの便宜を図っている。技能者については、受け入れ教育、技能教育センターや職場の研修施設の活用のほか、国家技能検定を取るように奨励し、全員が取得している。資格は昇格の要件となっている。
為替レートの変動については、ヘッジはしているが、それが目的化するとかえってリスクが大きくなるので、あまり大掛かりにはやっていない。日本からの輸出が少なくて済むようにドル、ユーロ、円を使う地域の事業規模のバランスを取るようにしている。
環境問題については、これを無視してはビジネスが成り立たないので、最優先事項として、商品そのもの(特に省エネ製品)、生産活動(ゼロエミッション、エネルギー消費量の削減など)の両面で配慮し、技術を磨いている。
商品の使用面での無駄をなくすためにはリユース、リサイクルを徹底することが大事である。自動車関連では昨年度からリサイクル法が施行されており、今後さらにリサイクル可能率・実施率を95%以上に高めていく目標を立てている。
第2次産業におけるカンバン方式のような効率化のための仕組みを第1次産業にとって役立てるとすれば、農産物を短納期、低コストで全国に配送するための物流の仕組みを考えることが重要ではないか。

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